第25回:佐藤皇太郎氏(サトリデザイン)のアニメ「履歴書」《その3》

前回は、大学時代とナムコ時代のことをお話ししました。

社会人になったものの、希望していたCG映像制作の仕事ではなく、ビデオゲームのエンジニアとして働いていました。でも、アニメーションを作りたい気持ちは変わることがありませんでした。会社で作れないのなら、自宅で作るしかありません。と言っても、現在のようにCGアニメーションの制作環境が安価に揃う時代ではありませんでした。

まず、コマ撮りする機材が無い(そこからかよ!)。今ならローエンドのPCでもソフトウェアだけでコマ撮り(に相当する処理)ができますし、リアルタイムに動画ファイルの再生も可能ですが、当時(1990年代前半)は外部のビデオテープに書き出す必要がありました。でも、コマ撮りのできる業務用のビデオデッキのシステムは数百万円もするので高くて買えません。そこで、当時の私のメインPCである Macintosh IIci から、SONY の Vbox 経由で CCD-V700 という Hi8 の民生用ビデオカメラのデッキ部を制御し、秒6コマのコマ撮りを行うCGアニメーション制作用ソフトウェアを独力で開発しました。こうして完成したビデオテープをポスプロ会社に持ち込んで、5倍速再生でダビングしてもらうと秒30コマのアニメーションになります。ここまでの流れを構築してから、ようやくコンテンツ本体の制作(作画や彩色)に着手できるわけですから、アマチュアがCGアニメーションを作るのは大変だったのです。

そのうちにPC単体でコマ撮りできるようになり、Flash でアニメーションを作り始めます。最初に作ったのが『戦争の本質』という作品で、監督・脚本・動画・音楽のすべてを1人で担当しました。これが第10回 広島国際アニメーションフェスティバル 2004 の「平和のためのアニメーション」で公式上映されました。この作品は、同じ年にロシアで開催された KROK という国際映画祭のコンペティションにも入選しています。これが私のデビュー作となりました。

広島国際アニメフェスには、第3回(1990年)から毎回欠かさず参加していました。1990年は大学を卒業して、ナムコに入社した年です。全くお金が無かったので、最終日のみの参加で、しかも青春18きっぷを使って往復とも普通列車(大垣夜行などの乗り継ぎ)で「車中泊」という無謀なことをしました。真夏でしたので、TシャツにGパンという軽装だったのですが、列車内の冷房が効きすぎて、寒くて眠れなかったという苦い思い出があります。若さゆえの無茶ですが、そこまでしても、世界の短編アニメーションの新作を観たかったのですね。

先述の通り、アニメーションに目覚めたのは長編『風の谷のナウシカ』でしたが、その後、大学時代にNFB(カナダ国立映画制作庁)などの海外の優れた短編作品をたくさん観ていたので、世界4大アニメーション映画祭の1つである広島は私にとって憧れの映画祭でした。2004年に上映作品として選んで頂けたことで、「私もアニメーションの世界で活躍して良いんだ!」と認められたような気がして、本当に嬉しかったことを良く覚えています。これまでの人生で最大の喜びかもしれません。

そして、この広島での上映がきっかけとなって、2004年から多摩美術大学・情報デザイン学科の非常勤講師となりました。当時、本業はナムコでしたから、会社の許可を得る必要がありました。プライベートの時間を使うこと(勤務時間を使ってはいけない)という条件でしたので、有給休暇とフレックスタイム制度を活用して授業をしていたのですが、授業のたびに有給休暇が消えていくので風邪をひくことすらできませんでした。でも、美大の講師という仕事が、さらに私の可能性を大きく広げることになったので、多少無理をしてでも「二足の草鞋」を履いて良かったと思っています。

最初、多摩美では「短編アニメーション制作」だけを教えていたのですが、そのうちに卒業制作の指導も任されるようになりました。情報デザインは守備範囲が広いので、グラフィックデザイン寄りの作品もあれば、プロダクトデザイン寄りの作品もあり、中には「これはデザインじゃなくてアートだろ!」という作品もありました(それはそれで面白いのですが…)。この頃にはすでに、ナムコで画像認識タロット占い「カメラdeタロット」をリリースしていたので、プロの立場から情報デザイン的な視点で学生を指導できるようになっていたのは実に幸運でした。会社の仕事以外にも、担当した学生の数だけ複数のプロジェクトが同時に走っているようなイメージです。点と点が線で結ばれていくように、デザインに関する断片的な知識・技能が、教育の実践の中で統合されていくのを感じました。いつしか私の中で「デザイン」というものが大きな位置を占めるようになっていました。

結局、デザインも、エンジニアリングも、合理的で美しいものを追求しているのですね。

その後、多摩美を離れ、現在は関東学院大学と東京造形大学で非常勤講師を務めています。担当科目では「物語性の高い映像」の作り方を指導することが多いです。企画・脚本・絵コンテ・作画・撮影・編集・サウンドについて、実践だけではなく、理論から教えることを常に意識しています(やはり、理論や法則は大事ですよ!)。特に、物語の理論と映像のデザインについてはライフワークと考えているので、今後も研究を続けていく所存です。

なお、関東学院大学では4年間、非常勤講師のまま、メディアデザイン研究室(佐藤研究室)を主宰する機会を得ました。7名前後の学生の卒業制作の指導をするのですが、その分野がバラエティに富んでいて非常に面白かったですね。私の専門であるアニメーション(手描き、CG、人形、切り紙…)はもちろんのこと、実写ドラマ、教育番組、CM映像、ミュージックビデオ、VRゲーム、PCゲーム、スマホゲーム、ウェブデザイン、写真、静止画イラスト、作詞・作曲・編曲、ライブ・パフォーマンス、メディア・アート……ここまで範囲が広くなると、公私を問わず培ってきた私の全経験・全能力を本気でぶつける必要がありました(質の高いゼミにするために、こちらも必死です!)。アニメーションやゲームの関連領域として、シナリオ執筆やプログラミングくらいは教えるだろうと思っていましたが、まさか、電子回路設計やハンダ付けのコツまで教えることになるとは、思ってもみませんでした。何でも経験しておくものですね(笑)。

2012年にナムコ(バンダイナムコ)を辞め、2013年にサトリデザインというデザイン事務所を立ち上げました。

どんな種類のデザインの仕事をしていても、やはり私の中心にはアニメーションがあります。独立後も、複数の国際映画祭で、私の短編アニメーション作品が公式上映されてきました。もちろん、私の興味の出発点である長編アニメやTVアニメにも魅力を感じますが、個人で(または少人数で)制作できる短編アニメにも独特の魅力と可能性を感じています。

かなり回り道をしてしまいましたが、気付けば、映像とデザイン関係の仕事で何とか生活できるようになっていました。
運に恵まれたことにも感謝ですが、「いかなる努力も無駄にはならない」ということを、人生の折り返し地点を過ぎた今、実感しています。

佐藤皇太郎(サトリデザイン