第21回:佐藤スーツ博之氏(ダンデライオンアニメーションスタジオ)のアニメ「履歴書」《その3》

■自分の目標
書き忘れてましたが、自分は専門学校の担任をやるようになって一度アニメーターの道を外れた時に、結果的に何がやりたいのかをずっと考えていました。それは、自分が面白いと思う作品を根本から関わって作り、それを観た人々にいろいろ感じてもらい、ビジネスとしても成り立たせて、生きていくということでした。
一番最初に書いたアニメーターへの動機にも通ずるところです。
その答えは「プロデューサー」でした。

自分の仲間にも、プロデューサーになりたいと思っている人はたくさんいましたが、明確ななり方というのはありません。もちろんアニメ会社に勤めてそのままプロデューサーを任されるというパターンはありますが、プロデューサーには他にも複数の種類があります。
アニメ業界では大きく2つに分けられます。制作会社(衣なし)ではアニメプロデューサーやラインプロデューサーと呼ばれ、主にアニメの制作予算を元にスタッフを編成したり、各社へ発注したりなどして、作品を完成させて納品する人のことを言います。一方、製作会社(衣あり)のプロデューサーは企画を探したり作ったりして、このアニメをどれくらいの予算感で作れば、どれくらいの利益が得られるかなどを試算し、それを元に出資会社に相談して委員会を立ち上げたりなど様々なことを担当します。
※この辺りも、かなり大雑把に説明してますのでご了承ください。

自分の中で初めてプロデューサーと言える仕事をしたのは、とあるアプリのグラフィック制作を、こちらからの提案内容を気に入って頂けたことで受注し、売上を立てたときだと思います。会社としても「こいつはお金を作れるやつだな」という判断になり、以後、任される役割も大きくなっていきました。

■なぜか音楽制作
業界復帰して以降、オリジナルアニメ企画を作るようになり、その中にいつか必ず完成させようと温めている企画がありました。
そんな時に EXIT TUNES という、ポニーキャニオンの子会社でボカロを中心として活躍している会社とコラボでPV制作をすることが決まりました。EXIT TUNES としてはアーティストのPVが作れる、こちらはまだ企画段階のものを映像化できるということで、相互にメリットがありました。

左さんがイラストを担当する「神巫詞(カミウタ)」という企画です。
電電太鼓という企画チームを作り、現在でも活動を継続しております(@team_denden@kamiuta_01)。

無事に完成し、さいたまスーパーアリーナのライブでも公開して頂きました。
その後、今後アニメ部署を立ち上げる、ということで誘って頂き、そのまま EXIT TUNES に入社しました。音楽制作というものが外から見るとかなりブラックボックスだったので興味があったのと、音楽もののアニメをやりたいので自分自身でしっかり理解して作れるようになりたい、ということが最終的な決め手となりました。
ですが、その代表者が1年程度で体調不良を理由に辞めてしまい、アニメ部署の話も立ち消えとなりました。そこで、自分としてはまだまだ音楽制作は勉強中だったこともあり、ゆくゆくはアニメ化などにも転用できるように、人気ボカロ曲を人気声優が歌う「ACTORS」というシリーズを企画してゼロから制作しました。この企画はおかげさまで大ヒットし、3枚目はオリコンでベスト10に入り、2019年秋にはアニメ化も果たすことができました。

ちなみに今、自分が名乗っている「佐藤スーツ博之」というクレジットの由来について説明しておきます。当時、エグジットでは佐藤が3人居て、漢字は違えど読みは全部同じなどの被りがあったため、社長が「分かりにくいから『あだ名』を付けよう」ということになりました。自分は、スーツ不要の会社でも、土日でもひたすらスーツを好きで着ていたので、その名をもらいました。たしか部署名にもスーツが付いていたと思います。

その後、変わらずアニメをやりたい気持ちがあったので、今のダンデライオンへと移りました。エグジットとは円満退社でしたので、社長とも相談させて頂き、佐藤スーツ博之の名前を次の会社でも使って良いですかと許可も取り、今でもそのまま使ってます。

■プロデューサーとして
ダンデライオンに入ってから本格的にアニメに関わった最初の作品は、『ROBOMASTERS THE ANIMATED SERIES』という中国のDJI社というドローンの世界シェアトップクラスの会社が企画した作品です。
この作品はいろんな意味で非常に面白く、また自分自身もたくさんの経験ができた思い入れのある作品です。もともと中国で ROBOMASTER という日本で言うところのロボコンのような大会が数年前から開催されており、それをアニメにしたいということで、ダンデライオンが元請けとして始まりました。

打ち合わせは基本ビデオチャットを中心として、日本語の話せる担当に通訳してもらい、こちらの中国人スタッフも参加してお互いに意見交換をしながら作りました。かなり中国にも出張に行って(タイミングもあって結果的には自分は1回だけでしたが…)、ロケハンをしたり競技を見たり、先方とのやりとりを密に進めました。
自分の関わりとしては、監督やメカデザイナーへの声掛け、OPEDの制作、(今回宣伝会社が入っていないため、自主的にPRしなければいけなかったので)宣伝も主に担当させて頂き、限られた予算の中で公式サイトやツイッター、メディア掲載、イベント、PVなど様々なことを担当しました。音楽制作時代にやっていたことがこれほど活かされたことは無いかもしれません。こういうことがあると、過去の経験は本当に無駄にならないんだなとつくづく思わされます。

唯一残念だったのは、製作中にメインで主導していたDJIの副社長が辞めるという事態になり、もともと長いシリーズでやる予定だった作品が6話までとなったことです。そのため、地上波での放送が難しくなり、WOWOWさんと配信会社中心での公開となりました。こういったことは良くあるといえばあるのですが、やはり作っている側としてはとても悔しいですね。
ただ、作品の日本国内での権利はダンデライオンが預かっているため、アニメ以外のところで、アニメーション用語集で素材を提供したり、DNPさんが運営する「FUN’S PROJECT – DNPクリエイター共創サービス」などでも素材使用や動画などで活用できたことは良かったと思います。

アニメ『ロボマスターズ』キャラクターコース
アニメ『ロボマスターズ』メカニックコース

次に関わった作品は、アニマックス20周年記念作品と銘打った「あかねさす少女」という作品です。
当初、自分はまったく関わらない作品として話だけ聞いていたのですが、当時のプロデューサーがダンデを退社する方向で動いていたことと、様々な要因で進行状況が非常に悪く、作画関係の人が全然集まっていないため少し手伝ってもらえないかというところから始まりました。
まあ、一番びっくりしたのは最初の打ち合わせで、まだ1話の作監も決まっていないと聞き、あわててその場でいつも信頼しているアニメーターさんにダメ元で連絡したところ、丁度タイミング良くお願いできたのは本当に奇跡でした。
その後も基本は作画さん集めの協力という形で関わっておりましたが、状況も状況なため徐々に深くかかわり始め、当初のプロデューサーも完全にダンデを離れてしまい、ダンデ内のプロデューサーが居ないということで自分が制作統括を担当することになりました。
これも、いろいろ細かく書くとキリが無いのと、さすがに言えないような大問題など様々ありすぎて割愛させて頂きますが、どこかで書く機会があれば書きたいと思います。

現在はまた別の新しい作品などに関わっておりますが、この2作品を見ても言えることとしては、プロデューサーというのは基本何でもできる必要があり、またトラブルや問題などに対して作品が止まらないように最善の決断と行動を取りながら進めていき、その中でヒット作を産み出してビジネスとして利益も上げていくという仕事かと思います(もちろんそれ以外の仕事も、たくさんあります!)。
なので、自分としてもまだまだ勉強中の身です。これからも、まだ経験していないことがたくさん起こっていくと思います。

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。自分の経験がほんの少しでも、これからアニメ業界を目指す人たちの役に立つようであれば幸いに思います。

佐藤スーツ博之(ダンデライオンアニメーションスタジオ

さとう すーつ ひろゆき
株式会社ダンデライオンアニメーションスタジオ チーフプロデューサー
代表作:マクロス7(動)、爆走兄弟レッツ&ゴー(動・検・原)、劇場版とっとこハム太郎(CGパート絵コンテ)、ゾイドジェネシス(CG)、おおきく振りかぶって(制作)、ゆゆ式(CD)、ACTORSシリーズ(企画・原案・CD)、ロボマスターズ(P・宣)、あかねさす少女(制作統括)、神巫詞-KAMIUTA-(企画・原案)