第18回:堀川和政氏(東映アニメーション)のアニメ「履歴書」《その3》

しかし、アニメ製作の現場にいた頃はまだ幸せであったのだ。

会社が人の採用を長年見送ってきた余波により、製作現場だけでなく会社全体の組織上でも製作を理解する管理職が手薄な状況に陥っていた。そんな会社にとって、アニメ製作の現場を理解し管理も行っている私は、利用するには打ってつけの存在であったのだろう。何と、ある時、総務をやりなさいというお達しを受けた。1年やったら製作に戻してあげるからなどという甘い言葉に騙されて、別の人生がそこから始まってしまったのである。

製作管理をしていた時から、スタッフのギャラ(契約料、一時金)などの調書作りを担っていたため、総務に移ってからもその仕事は持ったまま、社員の賃金の方までやらされるはめになり、製作部時代より中身の濃い作業を、来る日も来る日も終電ぎりぎりになるまで、やりこなした次第である。更に、その頃の総務は一人二役どころではなく、株主総会の準備、運営から取締役会の書記や議事録の作成、避難訓練のマニュアル作成や忘年会の運営など会社行事のほとんど全てを振られる「何でも屋」として、こき使われたのだった。

引き継いだ仕事は後から入ってくる者にどんどん渡していかなければ、私がパンクしてしまうことになりかねない。総合職の新卒採用も再開されていたことに加え、総務部に対する人材の補充も叶い、属人的であった諸々の仕事をことごとく透明化しながら若い社員に渡していったものだ。幸い、優秀な社員が配属されてきたこともあり、彼らは理解が早く仕事を覚えてくれた。時代の変遷期にあり、旧体制からの切り替えという意味でも中継ぎ的な役割を担う立場であったのかと思う。

そんな変遷期の中で、総務部長もころころ変わり、私は当時、総務部長代理として3人の総務部長を支えていた。当時の会社経営上の最大のリスクとして、一刻も早い解決が求められた問題がある。会社が映像製作会社として、作品製作終盤では24時間、休みもなくフル稼働しなければ作品を作り得ない長時間労働の実態があるわけだが、その時間分の賃金を丸々支払っていたのでは大赤字になり会社が成立しえないという長年の難題である。しかし、時代の移り変わりの中で、それが許される気配は薄れ、法律上の取り締まりも厳しくなり、労務・賃金制度の大変換を行わなければならない状況になっていた。総務部長が変わる中でも、その問題解決には至らず、お国からの指導がいつ行われてもおかしくない状態である。

そんな折、私は念願が叶い、一旦、製作部に復帰することになった。当時、製作部のトップがMさんになってからというもの、スケジュールの悪化に拍車がかかり、私が一昔前、製作管理の一員を担っていた頃は、アフレコを色つきでやるのが使命で、業界の中でも、それが唯一出来ていた会社であったのだが、そんな信頼も地に落ち、原撮はおろかレイアウト撮、絵コンテ撮までやる会社になってしまっていたのである。私は製作部でも管理部門のトップというポジションであったので、製作現場の改善に直接手を出すわけにもいかず、現状を会議等で会社の経営層に伝え、危機感を強めてもらうことくらいしか出来なかった。今、思えば、現場の窮状は経営層もある程度は分かっていて、手をこまねいており、私の製作部への異動もその辺の期待があったのかもしれない。がしかし、製作部の本質を知っていれば、製作部の改善には製作現場に直接入って指導しなければ改善は成し得ないことは明らかである。私の仕事はその立場では行えず、上からの期待に沿えていなかったのかもしれない。経営層の製作に対する理解不足と、その時の製作トップとの関係が楯となり、千載一遇とも言えた製作部改革のチャンスは消えてしまった。

丁度、そのタイミングと、総務部のかねてよりの労務賃金制度改革の待ったなしの状況が迫っていたこともあり、私は再び総務部に戻され、その難題の最終解決にあたる任務を命じられた。すなわち、長年アニメ業界全体で通例となっていた、法律上ブラックな業務委託制度を改め、法律に即した雇用制度への転換である。長時間労働を抑制し、働いた時間分の賃金はきちんと支払うということだ。これには職種ごとに適用できる賃金・労務形態があり、我々(会社としての)の主張と労基署との見解には隔たりがある中で、何とかまとめ、旧制度からの脱却、新制度への移行をなし得たのであった。これは正に歴史的快挙といっていい大仕事であった。会社人生の中で、会社に対して最も大きな貢献をした、社史に残る仕事と言っても過言ではない。これは37年の会社人生の終盤での出来事であり、私の会社の中での役割はひとつ終えたな、という感慨深い仕事であった。当の私が業務委託という形で入社し、アニメ製作に直接関与した後、管理職に転じ同時期に社員となり、現在に至った人間である。管理職に転じてからは業務委託の違法性を理解する身となったが、現場のスタッフは業務委託のまま放置されていた。この会社の無責任ぶりの中で、自分は自分の道徳観、倫理観を芯に持ち、全てのことに当たってきたので、違法性の排除という仕事は運命であった気もする。それゆえに、大いなる達成感を感じている。

もうひとつの願いである製作部の建て直しという使命については、他の誰よりも適任であるとの自負は的外れであった。というか今の段階ではゲームオーバー、舞台に出て行くには遅すぎたのである。製作部の建て直しとは別にもうひとつ思うのは、アニメーターの賃金のことである。専門職であるので(とは言えピンキリの差も大きいのであるが)、一定のレベルにある原画マンに対しては、月に50カット消化出来る技量であれば、せめて35万円くらいは払ってあげたいなぁ。日本のアニメを支えるこの人達の現状を変えてあげられないかなぁ、と思っている。製作部の改革は未だなし得ていない状況にあるが、アニメーターの処遇、環境改善も含め、その仕事は後輩の諸君にしっかりとした意識をもって、やり遂げてもらいたいと思う。

まぁしかし、製作のことだけでなく会社全体を見渡せたのはいい経験をしたことに間違いない。お陰で日経新聞は愛読紙となり、社会の流れや動きには自然と目が向くようになり、世間体を意識、反映した仕事が出来るようにもなったのである。

そして今、定年を前に思うことは、37年間様々な経験をして、視野、見識が広まった人間になったことは大いに満足できる境地である一方、結構もうやることはやってきてお腹一杯というのが正直な感想であり、出来ればここでひと区切り付け、休息の時間をしばらく持って、充電して新たに何かをやってみたい! そんなことを思う会社人生終盤である。

堀川和政(東映アニメーション