神は裏面にも宿る ~アニメカラー(セル画用絵の具)復活までの軌跡~

「明日○○まで一緒に来て欲しい」
2017年2月某日、社長から発せられた言葉に心が躍ったのを鮮明に覚えています。行先は、誰もが知っている世界的アニメスタジオ。私自身も好きな映画がいくつもあります。いきおい直ぐに快諾の意思を伝えました。

弊社ニッカー絵具株式会社は、昔からアニメ業界との結びつきが強く、手描き背景画においてはほとんどがニッカーのポスターカラーが使用されているというのは周知のことと思います。当然、当のスタジオさんにもご愛用頂いておりますが、今度の用事はどうもポスターカラーとは違うようです。

翌日スタジオに赴き、そこで伝えられた用件は「セル画用絵の具を復活させて欲しい」という事でした。セル画といえば、アニメーションのデジタル化の影響でほぼ遺物と化し、専用の絵具は完全に市場から消失しておりました。しかし、アニメーション用としてのセル画は役目を終えましたが、物販などでセル画作品の需要は高く、絵具の復活が待たれているというのはそれ以前にも何度か聞いたことはあります。

実のところ、その日を遡ること約1年前から両社共同のプロジェクトは進行していました。しかし当時の開発担当者も多忙を極め中々思うような進展が得られず、その後任として自分に白羽の矢が立つことになったのです。新しいことに挑戦出来ることと、何より自分が子供の頃から見ていた映画の制作会社と共に働けることがとても光栄なことでしたので、その任務を引き受けることにしました。
それが長い旅の始まりになるとは知らず──

まず、与えられた課題の色は18色。30年前に公開された映画のワンシーンに使用される色です。

絵具の基本設計は前任者のものに都度改良を加えながら、開発時間のほとんどは色合わせに費やすことになります。弊社のような色材メーカーとして製品を作るうえで一番難しいのは、目標設定された色が完全に確立されてしまっている場合です。もとの絵具の使用材料が分からない状態でメタメリズム(条件等色)やその他の問題もある中、色を完全に一致させるというのは宝探しに近く、ほぼ不可能に近い作業と言えるでしょう。とくに複数色を作る場合はある程度の許容範囲があるのが当たり前でした。が、今回その当たり前が通用しません。

数人で検査して問題ないと判断した色でもことごとく却下。各色とも、電子秤100分の1グラムの針も動かないような計量と微調整を重ねながら、それでも聞こえてこない合格の鐘。とても理不尽にも思えましたが、こちらにも意地があります。何回ものやり取りを経て、ある事に気が付きました。与えられた色見本だけでは伝わりきらない何かが介在しているのではないか。そこを見落としていては、いつまでも要求される色が作れないのではないかと。


絵具の制作過程で生まれたセルの亡骸たち

それ以降は、ただ色味の違いについてのフィードバックとは別に、何かしらコメントを引き出すように努めました。何でもいいんです。すごく曖昧な言い回しでも、そこには感情が備わるから。今自分に見えている色だけに合わせるのではなく、作品やキャラクターを知り尽くしている人たちが、その色に対してどのような感情を抱いているのか。その感情の部分を、最後の微調整の時にプラスアルファさせたところ、それまで固く閉ざされていた扉が少しずつ動き始めたのを感じました。

「なるほど。この作品のこのシーンのこの色には、この作品に関わる人のこれだけの思いが備わっているんだ。色彩設計の思い、監督の思い、それを形にする人たちが居て今でもそれが引き継がれている」

他人が見たら、ほとんど気付かないような微妙なこだわりかもしれません。でも、その小さなこだわりの集合体がひとつの大きな作品になっている。そう思うとセルシートの裏側から見た絵具の凸凹からは、まるで何やら息遣いが聞こえてくるような感覚を覚えます。

「神は細部に宿る」と言いますが、「神はセルの裏面にも」ちゃんと宿っていて、そういった作品が名作として後世にも親しまれているのだと思います。

今回の課題の18色は、様々な気づきを与えてくれました。全ての色の合格を得られたのは、もうすぐ2回目の春を迎えようとしていた頃でしたが、私にとっては何物にも代え難い時間となりました。

長崎琢磨(ニッカー絵具