第8回:工藤秀子氏(スタジオキャッツ)のアニメ「履歴書」《その1》

【私の子ども時代】
1947年、山梨県甲府の片隅で生まれました。そして3歳の時に両親と共に東京へ。団塊の世代の一陣でしたので、競争の世代の始まりでもありました。両親からは「勉強しろ」と毎日のように言われて、私は反発して育ちました。

小学校は1クラス63人という詰め込み状況でした。小学校2年の美術の時間に、皆はクレヨンで絵を描いていたのですが、私はクレヨンの臭いで酔ってしまって絵を描くことができませんでした。そのとき先生が、水彩絵の具を出して「では、これで描いてみて」と私にだけ水彩画を教えてくれました。3年生になると今度は全員が水彩画を学ぶのですが、私は先に始めていたので皆より上手にできたんですね。たぶんそれが絵を好きになった理由だと思います。勉強は嫌いだったけどね。

小学校2年の時にテレビが初めて家に来ました。まだ出始めで、テレビのある家は少なかったので、家の前は毎日、映画館のようになっていました。まだ放映時間は1日に何時間かで、プロレスとかをやっていた時代です。子どもの時間には、アメリカの漫画映画をやっていました。白黒の不鮮明なテレビ番組でした。

当時、「月光仮面」という番組が子どもたちに人気で、月光仮面ごっこがはやっていました。風呂敷を首に巻き、背中に垂らしてマントにして子どもたちは遊んでいました。私も正義の味方や強いヒーローにあこがれて、弱い者いじめをする悪い子を殴って、やっつけて、ヒーロー気取りでいました。
もちろん夜には、その子の親から苦情が両親のところに来て、結局あやまりに行かされて、ひどく怒られるという状況でした。まーいわゆる乱暴者でした。

他の子は塾に通っていたけど、私は塾を逃げ出すので、何処でも断られていました。ただ、布に絵を写して、色を塗って「のれん」とかを作る教室だけは楽しいので続けていました。その後のアニメの仕事に繋がるようなことだったなと思います。
あまり女の子と遊んだ記憶が無いので、ほとんど男の子だったけどね。そんなわけで、両親は私を中学から女学校に行かせることにしたのです。

小学校の頃に、父がディズニーの映画「白雪姫」を観に連れて行ってくれました。カラーで素晴らしい作品に感動してしまいました。でも、自分でアニメの仕事をしたいと思ったのは、中学になって初めて日本のアニメ「鉄腕アトム」を観た時です。アメリカの作品は、まだ遠くの話で現実味は無かったけど、日本の中でそういう仕事があるのを初めて知りました。高校へ行く頃には、将来の目標となっていました。でも、何を勉強して良いか分からないので、まず基本のデッサンを習い出しました。そして高校3年の時に、東京デザイナー学院でアニメーション科が初めてできたと知り、迷わず入学することにしました。そして1期生となったのです。

【東京デザイナー学院から、東京ムービーへ】
東京デザイナー学院では、最初の1年間はデッサンやクロッキーという絵の基礎の勉強で、それ以外は通常の講義でした。2年生になって、卒業制作としてアニメ作品を作ることになり、そこで全部のパートの勉強ができたことは、将来にも役立っていると思います。当時の先生の1人は「ガンダム」の監督の富野由悠季さんでした。その後の活躍は、ご存知の通りです。

卒業間近になって、アニメ会社からの募集が壁に貼ってありました。その中で、私は東京ムービーに応募することにしました。

1968年2月、東京ムービーの入社試験の日。私は寝坊して、阿佐ヶ谷団地を走り抜けて、必死で会社に向かっていました。東京ムービーは、善福寺川のそばにある小さな会社でした。やっと会社に着いて、「すみません。今日の試験に来たのですが」と言うと、「では、こちらに来て下さい」と言われ、1階の一番大きな部屋に通されました。

そこには15人くらいの人が来ていて、もう試験が始まっていました。本当は動画のテストを受けに来たのですが、動画は男性ばかりで、私が女性なので仕上げの部屋に連れて行かれたようでした。他の人は、ほとんどやったことが無いようで、必死で何とか線を描いていましたが、私は専門学校でトレスの練習はやって来たので、すぐに絵を描いて、その後、裏返してペイントしました。

試験が終わってしばらくして、採用通知が来ました。それがトレーサーとしてのスタートでした。
当時はアニメという用語は一般的ではなく、漫画映画と言ってました。まだ世間に認知されていない時期だったのです。
4人の女性が一緒に入社しました(トレス2名・ペイント2名)。一緒に入った3人は、漫画が好きで、本当は漫画家になりたいと言っていました。皆、絵が好きで、絵に関わる仕事はなかなか無い時代でしたので、アニメの会社に入ったのです。でも私は、アニメがやりたいという理由で入社しました。

次回は、東京ムービーにおける仕事と宮崎作品との関わりについて、お話しします。

工藤秀子(スタジオキャッツ)