第7回:望月重孝氏(アスラフィルム)のアニメ「履歴書」《その2》

前回は、STUDIO4℃の制作進行として、線撮に取り組んだところまでをお話ししました。

その後、同じチームの先輩制作2人が会社を去り、ラインプロデューサーとしては初仕事の先輩と、劇場作品「鉄コン筋クリート」を制作することになりました。
責任感と逃げない精神の強さを持った掌の悟空=望月。仏の如く後輩を動かす先輩のもと、僕は自由に伸び伸びと制作進行をすることになり、日本中の動画仕上げさんと仕事をすることになります。純国産のアニメを創るぞ。と、謎の志で挑んだのですが、一気に社外のアニメーターのキャパを埋めてしまい、社内の制作のほとんどを敵に回してしまいました。そんな僕と社内制作の間に立って人柱になり後輩を守り、僕のパフォーマンスを最大限発揮させてくれた先輩は、今ではチームラボのプロデューサーです。

作品はその後1年半で完成し、その間ミュージックビデオなども手伝ったりと充実した制作ライフでした。
そして、次は森本監督の「ジーニアス・パーティ 次元爆弾」に入れと任命を受け、「鉄コン」とは違う先輩プロデューサーが上司になります。女性の方で、でも、誰よりも最後に帰る根性の方でした。
森本監督の作品制作の途中、社長から「お前に似た主人公の作品がある、やってみろ」と言われ、制作することになったのが「デトロイト・メタル・シティ」のアニメOVAでした。初ラインプロデューサーになるはずだった作品ですが、監督へのアプローチを失敗してしまい、ラインプロデューサーから外されます。その時、悔しくて泣いてしまったのを先の女性プロデューサーから「泣いたって何も解決しないわよ!!」と、喝を入れられ、青春ドラマのように紅茶花伝をパスされ、飴と鞭で自身を見つめ直すキッカケをもらいました。

「次元爆弾」も「デトロイト・メタル・シティ」もチームの頑張りもあり完成し、この後、燃え尽きちゃって、会社を去ることになります。

建前上は「自分で会社を起こす」そう言って辞めましたが、本音は、夢も叶えたしアニメに悔いは無い。そう思って入社したWeb広告業界でした。
しかし、未練タラタラ過ぎてアニメ業界に片足突っ込み続けていました。どのくらい未練があったかというと、恥ずかしいくらい職務経歴書に自身の制作したアニメの解説を書くほどで、面接官から「まだアニメ制作やりたいんじゃないの?」と、言われる始末でした。
日々、電車に揺られサラリーマン生活をして、広告のクリエイティブのことを考えて業務に挑みましたが、ふと、アニメの企画や放送、上映しているアニメのことを考えたり調べてしまったり……やはりまだ未練がありました。
もちろん、Web広告業界も楽しく、とても勉強になりました。

4℃を辞めたのが23歳後半、広告業界で5年くらい経ったある日、アニメ業界で下っ端時代から仲の良かったプロデューサー(当時)から「いい加減戻って来いよ」「家族に楽しそうに仕事して輝いている姿を見せたいよね」と言われ、毎晩、謎の会議をしました。
あれよあれよと会社を起こす話になり、23歳当時に「起業する」と言って辞めた業界に、撮影会社の代表として返り咲くことになりました。
覚悟も決まり、お世話になっていたWeb広告会社にも「起業したので辞めます」そう言ってすぐに退社しようとしましたが、顧客も抱えていたので半年間は二足のわらじで働きました。
起業当初は自身の会社からは無報酬、初月売上20万、不安を超えてガムシャラにやるしかないと思いつつ、在籍していたWeb広告会社の社長には色々と相談をさせてもらいました。 何度も言われたのは“覚悟”についてです。「お前が失敗して戻りたいと言っても迎え入れるつもりは無いから、失敗しても成功するまで覚悟してやれよな」と。会社経営や作品創りにおいて必須となる本気度を試されました。

起業当初は右も左もわからず、まるで新卒入社した当時のように「やってみるか」で進めてしまい、いざ、受注して稼働してみたもののクオリティが最悪で、5時間遅れの瑕疵担保出来ず納品拒否。
その時の業務は線撮。
またかよ……
自分でも恥ずかしいですが、その当時、かなり進んでいた線撮の求められていたクオリティなどを一切理解せず進めた結果でした。
その後、4人のスタッフが、近くにいた監督からクオリティについてヒアリングして、毎日研鑽して会社のブランドを構築しました。

当時、中途半端な仕上がりで上手く納品でき、それが真っ当な納品だと、クリエイティブだと勘違いして進まなくて良かったなと。クライアントには申し訳ないですが、大失敗して良かったなと思っています。

そして、その後も紆余曲折あって、今に至ります。

これからも長いアニメ人生、良いことばかりではなく、辛い時もあるとは思いますが、日本アニメ業界、クリエイターが幸せになって、世界中の人々の人生にもっとアニメが当たり前になる未来の実現が僕の夢です。
それには先人たちの想いや可能性を引き継いで、我々世代や次世代のアニメ人たちと共に新しい歴史を、先輩たちに怒られながら創り上げる。少なくとも20年は覚悟して食らいついて行きたいなと思ってます。

仲間と、みんなと仕事できれば幸せですね。

最後に……
私の履歴は、挫折と失敗はしつつも、人に恵まれ助けられて創作し、作品を世に送り出してきたアニメ人生、そんな感じです。

望月重孝(アスラフィルム

もちづき しげたか
石川県金沢市生まれ。プロデューサー。

スタジオ4℃入社後、松本大洋原作劇場映画「鉄コン筋クリート」、劇場オムニバス森本晃司監督「Genius Party/次元爆弾」、OVA「デトロイト・メタル・シティ」など様々な作品の制作デスクを務める。28歳で株式会社アスラフィルムを創業。現在、東京・沖縄・岡山・金沢でスタジオを運営、中国に提携企業1社。

代表プロデュース作品……ニンテンドー3DSソフト「テイルズ オブ ワールド レーヴ ユナイティア」オープニング/アニメパート、日清カップヌードルCM「サムライヌードル」アニメーションパート、アイマリン プロジェクト「Dive to Blue」、劇場オムニバス「L.S」PVなど多数。