第3回:遊佐かずしげ氏(メビウス・トーン)のアニメ「履歴書」《その1》

「うる星やつら」や「おそ松さん」に足を向けられない私のアニメ人生!?

アニメーターになる動機は様々でしょう。アニメが好き。漫画が好き。声優が好き……。しかし、私の場合は少々違いました。
アニメーターになりたい!なんて考えたこともなかった幼少期。当時は漠然と絵を描くことが好きで、絵の仕事に就きたいぐらいにしか考えていませんでした。展覧会に入賞するなど絵の才能はあったようですが、家庭の事情で大学への進学は許されず、まして美術大学なんて夢のまた夢でした。中学の同級生に漫画家を夢見る親友がいたことから、当時、石森章太郎や手塚治虫、川崎のぼるの漫画を読みあさり、Gペンを買い漫画家の真似事をした時期もありましたが、やはり私にとって漫画家は現実的には思えませんでした。高校を卒業したらすぐに家を出るという取り決めがあり、一刻も早く自活をしなくてはならなかったからです。選択肢は銀行員や公務員などのサラリーマンの道でした。そして某会社に就職が内定しました。せっかく決まった就職先はなかなかの大手で私の絵心を十分刺激してくれる会社でもあったのですが、所詮事務職での採用でした。しかし、どうしてもある眩しい記憶が頭から離れず、悩み続けてついにドンデン返しが起こります。その眩しい記憶とは、私が小学校4年生ごろの「不思議な出来事」でした。

東京都の西に位置する昭島市に私の実家があります。国立や立川のさらに西に行った所です。正月には、弟が家督を継いだ実家に帰り、近くの拝島大師に初詣に行くのが年中行事です。その「不思議な出来事」とは、実家が建て替え前のまだ借家で隣が大家さんだった頃にさかのぼります。
いつものように親に頼まれて隣の大家のおばちゃんに家賃を届けに行ったある日のことです。通帳に判を押してもらうだけなのですぐに終わるはずでした。ところが大家のおばちゃんが奥から大きめの茶封筒をいくつか持ってきて言いました。「気に入ったのがあったら2~3枚あなたにあげるから、好きなの選んでちょうだい」と。茶封筒の中から出てきたのは今まで見たこともない程の美しく眩しいキャラクターと、別々に描かれた画用紙の背景画が1組になった数々の絵の束でした。それは生まれて初めて見たTVアニメの「ムーミン」のセル画でした。当時セル画なんて言い方があったどうかは分かりませんが、とにかくたくさんの絵が次から次へと目の中に飛び込んできたのです。ムーミン、スナフキン、ノンノン、ミイ……知っているキャラクターたちとの「出会い」は、まるで憧れの映画俳優と出会った時のような衝撃で、大家さんに2~3枚選べと言われても当時の私にはとても無理でした。どのくらい経ったでしょうか? 30分ぐらい時間が止まっていたような気がします。すると、ニコニコしながら大家さんから信じられない言葉。「いいわよ。全部もって帰りなさい」と。20枚ほどあったでしょうか? そのあと頭が真っ白になり、どう持ち帰ったか覚えていませんが、それから毎日のように学校から帰ると美しく眩しいセル画に見入ったものです。

これがアニメーターになったきっかけかって?
いえいえ違います。さらに不思議なことが起こったのです。翌月も同じように家賃を届けに行くと、今度は大家のおばちゃんが部屋の奥にいた青年を呼び、小学4年生の私のために画用紙に絵を描いてあげるよう勧めたのでした。その人は私の目の前でスラスラと人気アニメ「いなかっぺ大将」のニャンコ先生という猫の絵を描いてくれました。真っ白な画用紙の何もない世界に、たった1本の黒い鉛筆から生命が吹き込まれたように、生き生きとしたキャラクターが現れたのです。この絵は私の宝物になりました。のちに知るのですが、その青年はプロのアニメーターさんだったのです。この世の中にアニメーターという仕事があることを初めて知った瞬間でした。この出来事以来、絵が好きになり小学校~高校と時間があれば風景画や薬師寺の東塔、興福寺の仏頭などの写実的な鉛筆画を趣味として描き続けました。そして、できることならプロの絵描きになりたいというおぼろげながらも夢はありましたが、家庭の事情もありその夢は封印していたのです。
18歳の時にサラリーマンとしての道を一旦は選んだはずだったのに、どんな形であれ将来絵を描いて生きていきたいとギリギリのところで思いとどまれたのは、あの美しく眩しかった「ムーミン」のセル画と「ニャンコ先生」の絵に出会ったからだと今でも思っています。申し遅れましたが、その時の青年とはアニメーション業界の重鎮で、元日本動画協会理事長、スタジオぴえろの創業者の布川ゆうじさんです。つまり、「うる星やつら」や「おそ松さん」のプロデューサーが当時私にニャンコ先生を描いてくださった青年であり、いわば私をこの業界に導いてくださった恩人なのです。

次回は、私が竜の子プロダクションに入ったきっかけを書きたいと思います。実は某大手アニメ会社に門前払いを食らった失意の次の日に・・・奇跡が起こりました。
お楽しみに。


10年ほど前に中野ブロードウェイの古本屋で、当時の私が載っている本を発見しました

遊佐かずしげ(メビウス・トーン)

ゆさ かずしげ
東京生まれ・タツノコプロ出身 アニメーター兼監督
元・東京工芸大学芸術学部アニメーション学科教授

主な参加作品:
「うる星やつら」「まんが日本昔ばなし」「タッチ」「楽しいムーミン一家」「にほんごであそば」「ピタゴラスイッチ」「みんなのうた」「ペコロスの母に会いに行く」「陽炎の辻」、テレビCM「レノア柔軟剤」「Z会」など多くの短編作品を提供。今年でプロ40周年。